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2021年2月6日土曜日

【高齢者の引っ越しは認知症に影響!?】高齢者の認知症と環境の変化について

 高齢者の認知症と環境の変化について

実体験と周りでの事象(聞いた話等含む)
それらを踏まえ素人ながらではありますが
個人の考えを書かせていただきます


単に環境の変化と言っても様々なケースがあります

引っ越しはもちろん、長年連れ添った家族
(また家族同様のペット)の他界、仕事を辞める等


これらに直接とは言わずとも共通していることが
1つ、本質として見えてきます


それが
長年のルーティーンの変化です

引っ越せば買い物のルート、場所、
頻度も変わりますし、家事も設備の変化から
今まで通りには行きません
ご近所付き合いも変化するでしょう


長年連れ添った家族が居なくなれば
例えば夫が居なくなった分その面倒を
見ることもなくなり
料理等も手を込んだ料理が少なくなることも

飼っていた犬が居なくなれば
散歩もしなくなるかも知れません


関係無いけど実家で飼ってたTHE雑種、名はゴン
(数年前に他界)


定年を迎えた等、仕事を辞めた途端に
調子を崩すなんてケースも珍しくありません


今回は私の祖母が引っ越しを機に認知症となり
その生涯を終えるまでの実体験を元に
書かせていただきます
ほぼ婆ちゃんの思い出話しです


私の人生での後悔の1つに
『婆ちゃんに何もしてあげられなかった』
という事があります

借家の長屋に住んでいた婆ちゃん
爺ちゃんが過度のお人好しで鍼灸師なのに
治療費も貰わないことも多々あったとかで
相当貧乏だった様です

早くに爺ちゃんは亡くなり
そんなお人好しだった爺ちゃんが生前知人の
連帯保証人になり、逃げられ
その借金を背負いながらも母とそのお兄さんを
女手ひとつで育てたと聞いています

更に母の兄(叔父さんにあたる方)
結婚を機に婆ちゃんを裏切り
家を買うための金を持って姿をくらませたとも
(絶縁というやつですね)

私はそんな婆ちゃんに将来
家を建ててあげると言っていました(いたらしい)
はっきり記憶がありませんが当時
幼い私から見ても婆ちゃんの住んでいた長屋はボロかった

そんな婆ちゃんが認知症になり
次第に体調を崩し亡くなるまではあっという間でした

その口火を切ったのが
『引っ越し』です

引っ越しと言っても家を買ったとか建てたとか
そう言う晴々しい感じではありません
借家である長屋を大家さんが引き払うことになり
立ち退きをしなければならなかったのです

婆ちゃんは町営の小さな戸建てに入りました
私が中学生の頃です
この頃から婆ちゃんの認知症が始まりました

スーパーでお会計をしないで出てしまったり
買い物から帰れず町を徘徊したり

そんなこんなで母が呼び出されることもしばしば

暫くして実家のすぐ2〜3軒隣の
空き家に入ることになりました
(
元々父が貸家としていたところが空いた)

認知症は良くはなりませんが
実家の近くにいることで目を掛け易くなります

ただやはり高齢になるほど
不慣れな設備は使いたがらない様で
洗濯はしていましたが料理はしません

昔は買い物の時はチャリ立ちこぎの
孫2ケツでバリバリでしたが
すっかりチャリも乗らなくなり

買い物も連れられて行くぐらいで
ほとんど何もせずに家にいます
何もしないと更に認知症は加速します


ある日の事でした

私の買ったばかりのパーカーの
フードがなくなっていました

首周り切りっぱなしのトレーナーになっていたのです
犯人は婆ちゃんでした

というのも実家の洗濯機が壊れたため
暫くの間婆ちゃんのところに置いてあった洗濯機で
洗濯し、洗濯物も同じ空間に干してありました


婆ちゃんは自分の物だと思ったのか
見覚えのない頭巾付きのトレーナーの
頭巾部分を切除してしまったのです

頭巾部分は恐らく雑巾にでもなったのでしょう

買って1回しか着てなかったけど
自然と怒りという感情はありませんでした


そして更に月日は経ち私が高校生になった頃
婆ちゃんに癌が見つかり入院することになりました


入院生活となるとそれこそ婆ちゃんには
やる事がありません、本を読んだりもしないし
何か手先で済む趣味もない
家に居た時はハーモニカを
吹いたりすることもありましたが
4人部屋でハーモニカは考えられなかったでしょう

そもそもこの当時婆ちゃんに
その気力があるかも分かりません
ただ家の近くに居た時はまだ私を含め
家族が話し相手になれたのです

毎日少なくとも夕飯の時間は共に過ごし

対話と言うよりはほぼほぼ婆ちゃんの
独り言みたいになっていたかも知れませんが
話し相手がいた

4人部屋だから周りの方と仲良くなれたら
良いのかも知れないが婆ちゃんは
お世辞にも愛想の良い方ではありませんでした


恐らく母は毎週婆ちゃんのところに
通っていました(荷物やなんかもあるので)
しかし私はほとんど面会に行く
機会がありませんでした

機会がなかったと言えば仕方ない様に聞こえますが
ただ行かなかっただけです
高校生になった自分にとって
婆ちゃんと言う存在はあまり目に
映っていなかったのでしょう


ある日、兄の運転で母の代わりに
久々に兄弟で婆ちゃんに会いに行くことになりました

婆ちゃんは喜ぶどころか
孫ということすら認識していませんでした

看護師の方が目の前で「誰が来てくれたんだい?」
なんて婆ちゃんに聞くと「甥っ子だ」って言ってました
看護師さんも年齢的に考えて甥っ子でないことは
分かったようで「あら嫌だお孫さんじゃないの?」
ぐらいな調子で笑っていましたが

正直この瞬間は結構衝撃でした

人に名前や顔を忘れられるって
結構地味にショックだと思うんですけど
(付き合いの程度によるか)


まさか婆ちゃんに自分の存在を忘れられるとは
思ってもいなかったのでこの衝撃は大きかったです

それから婆ちゃんの癌は悪化

投薬や手術、装置に囲まれた延命みたいなのが
嫌いな婆ちゃんと母の意向もあったのでしょうか
手術はせずに家で看ることに

私には当時、退院=少しは良くなったという意味だと
思っていました

しかし、治療をしない退院
そのまま家で最後を看取る退院だとすぐに分かりました


この当時、実家の風呂が壊れていたため
婆ちゃんの住んでいる家に毎晩風呂を借りに行ってました

毎晩、婆ちゃんの部屋の前を通る度に
婆ちゃんの苦しむ声が聞こえてきたのです

最初のうちは声をかけたり
少し腰のあたりをさすってあげたりしていました
段々と慣れていくに連れて
それすらもしてあげない日も出てきました


そしてある夜
婆ちゃんは「痛い痛い」と苦しんでいる中
私が部屋の前を通った時でした
「〇〇くんかい?さすってくれねーかい」

私は無視しました

正直腰をさすってあげても「痛い」と言うだけで
楽になるのかも分かりませんでした
もう面倒になっていたのです


翌朝、 婆ちゃんは亡くなりました

ひどく後悔しました
あれが婆ちゃんの最後になろうとは
そして最後に婆ちゃんは

私の名前を確かに口にしていたのです


私は婆ちゃんに家を建ててあげることは愚か

最後に婆ちゃんの痛みに寄り添ってあげることすら
してあげられなかったのです


婆ちゃんが最後を迎えた6畳間



婆ちゃんの認知症の程度はその道の方
(介護業界従事者など)に言わせればまだまだ
全然軽度なものです
もっと深刻になれば暴力、暴言もあります
意思疎通ができなければ頭にうこ乗せる方も
いらっしゃるようです

引用元:厚生労働省https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_recog.html 

(ここでの婆ちゃんの該当はレベルⅡ相当)


ただ婆ちゃんは幸か不幸か
認知症がそこまで悪化する前に病で倒れたまでの事で
悪化をたどるレールには間違いなく乗っていたのです


長々と書かせていただきましたが
結局のところ何が言いたいか

要は引っ越しを始め、年配の方の周辺環境の変化には
十分に気をつけていただきたいということです

新築をきっかけに田舎暮らしの親
祖父母を家に呼ぶのもいいでしょう

しかし何か大きな変化があった場合には
その後の周りの人間によるケアが大事となってきます

例えば趣味とまでは言わずとも
何か楽しみを一緒に見つけて、少しでも当事者との
時間を共有してあげることが一番の
認知症対策なのではないかと考える次第であります


以上となりますが、これは素人の考察で
何の医学的な根拠もありません
このことをご注意、ご理解いただき、お許しください
最後までご覧いただきありがとうございました

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